北の国で学ぶ 最終章

みなさんこんにちは、いよいよ北海道訪問最終章です!ちょうど1ヵ月前ぐらいのことなのですが、写真やメモしたことを見ながら「もう1回ここ行きたいなー」と思いながらブログを更新している北見です。それに「これもう1回食べたいなー!」なんて思ったり(笑)

さて、北海道訪問最終日。この日はいよいよ美唄の炭鉱の跡地や立坑がある場所に行きました。初日に訪問したそらち炭鉱(ヤマ)の記憶マネジメントセンターで教えていただいた立抗を生で見てくることができました。センターでは立抗の模型を見ましたが、やはり本物の立抗はスケールがでかい!そしてさびついた鉄の骨組みが生々しく、すごい不気味、、、絶対イる(゜∀゜;)!(何が?と聞くのは禁止です(笑))
また、炭鉱で働く人たちにとって欠かせないものであり、当時の生活がうかがえるものがあります。それは

浴場です。浴場は炭鉱の敷地に設置され、作業をしている地下からそのままつながっているため、地上にあがらず浴場に行くことができる造りになっています。大人数で使えるように洗い場や浴槽は広く「吊籠方式」を使った更衣室があります。「吊籠方式」というのは漢字の通り、脱いだ服やタオル等を籠に入れ、天井から吊るしておくという方式です。そうすることで、更衣室を広く使え、掃除も簡単になります。そして、上から吊るしておくことによって濡れ物を干すことも出来る利点があります。このように工夫がたくさん施されていて、炭鉱で働く人たちにとって大切な場所となっていました。
 
そして、これが待ちに待った美唄の炭鉱の跡地です。

立抗が唯一2つ残っているのはこの炭鉱だけだそうで、真下に行って見上げるとやはり立派でした。しかし当時の写真を見ると、立抗がどこにあるかわからないほど立抗の周りにはさらに大きい建物が密集していたのです。これ以上でかい建物とかどんだけだよっ!と写真を見てツッコミ。でも当時のこの場所なら当然のことなのです。それぐらい栄えていたことがわかります。

私は美唄に行く前に、前期の研究を踏まえて「場所」と「食」とをつなげてツーリズムにするといったことを考えていました。しかし美唄の炭鉱の跡地や立抗がある場所に行くと正直その案は難しいことなんだなと感じました。まず、本当に人の気配がなく、何も知らずに現地に行ってもただ緑がたくさんある場所にしか見えないからです。「ここから先は人口0人だから」と車を走らせながら岡田先生に言われ、そんな場所があるものなのかと未知の世界に足を踏みいれるような変な気分でした。実際本当に人の気配が全くないし、建物すらなくなってしまいます。すれ違う車なんてもちろんありません。そのような場所をどうやって生かすか、人をどうやって呼び込むか、何をウリにするのかなど、まだまだ課題はたくさんあります。しかしこの3日間で
『 炭鉱 + 歴史 + 地元のアイテム 』
といった重要なヒントを見つけることができました。ただ炭鉱の現地そのものを見せても、無知識のままでは何もわからないし、何も感じることはできません。そこで、炭鉱の歴史やその土地の歴史がカギになりそうです。同時に、地元のアイテムである食を絡めて行かねば。難しくなってきたあぁ(+_+)しかし、やっぱり実物の力はすごい!北海道行ってよかった!というのが率直な感想です。同じことになりますが、今後の研究に生かさないわけには行きません。改めて3日間美味しいものもたくさん食べさせてくださった岡田先生、たくさんのことを学ばせていただいたそらち炭鉱(ヤマ)の記憶マネジメントセンターの酒井さんありがとうございました。また北海道行きたーーーい\(^o^)/