キジマダイスケという男

読者のみなさん、どうも。
コザカイ組の師匠、コザカイです。
今日はワシ自ら弟子の話をします。

うちの学生がすでにブログに書いてあるとおり、つい先日、1期生のゼミ長だったキジマダイスケが『キャリアデザインⅠ』という1年生の必修科目で特別講師をしてくれました。

ワシにとって1期生の4人は、うちの研究室を一緒に作った仲間です。
そのなかでもキジマダイスケは、当時の学科主任に「コザカイ組の番頭」と名付けられるように、ものすごいリーダーシップを発揮して、うちの研究室の方向性を作ってくれた男です。

でも、いまの彼を現役の学生がスポットで見たら、彼の良いところばかりみて、少し人物像を誤解しているような気がします。もちろん、彼の本質を見抜ける学生なんていないかもしれません。
ですから、彼と一緒に研究室を立ち上げたワシがあえて彼の悪口を言っておこうと思います。

まだしっかり覚えています。
うちの研究室に来るまでの彼は、他の先生たちに、「勉強のできない、ものすごく生意気なやつ」だと言われていました。
でも、ワシが気に入ったのはまさにそこでした。

彼は勉強はできたんだと思いますが、単純に「自分の好きなことしかできない」ような捻れた甘ちゃんでもありました。マネジメントサイエンス学科に入ってきたのに、そこで習えることに全く興味のない学生でした。だから、誰もが彼を生意気だと言っていたのです。

しかも、彼はいわゆる「群れない一匹狼」というやつでした。自分の学科に友だちらしい友だちがいませんでした。
でも、当時のワシは「なんて捻れた性格のおもしろいヤツだろう」と思っていたのです。

それに、いまの彼のプレゼンを見た人はだれがも疑うと思いますが、あがり症なところ、臆病なところ、そういった要素はいまでも変わっていません。
彼の生意気なところ、人と群れない高慢ちきなところは、それの裏返しみたいなものです。彼が隠そうとしているところは、すべて触れられたくないコンプレックスであり、彼はコンプレックスの塊であるといえます。

だからこそ、ワシが一番気に入ったのは、このコンプレックス、悪い言い方をすれば「捻れて鬱屈したモヤモヤした性根」でした。
この鬱屈したエネルギーを外に発散したら、どうなるかがワシには分かっていました。
それは、ワシも同じような人間だからです。

そもそもコンプレックスのない人間はいません。でも、向き合うことができるからこそ、鬱屈します。こういう人間は、素性の良い指導者がいれば、自分で自分を変えることができます。だから、当初、ワシは彼にとって、そういう存在になろうと思いました。

でも、ワシがキジマダイスケにしてあげられたことは、彼が目立つチャンスを用意できたことぐらいでした。
そういった意味で、彼はワシをうまく利用できました。ワシも彼の力を利用することができました。コザカイマサカズとキジマダイスケは、そういった関係だったと思います。

あがり症なところは、経験さえ積めば舞台度胸に変わります。むしろ、客席に近いところで人前に立つことができるようになります。
臆病なところは、仕事の繊細さ、精度の高さを支えます。本当に傲慢な人間だったら、自分の仕事のアウトプットを出来の善し悪しも分からず、アウトプットの精度が低いまま満足してしまいます。傲慢な人間は反省することができないのです。

ひょっとしたら、キジマダイスケは講義の前の晩、「寝てない」のではなく、「寝られない」だったのかもしれません。たぶん、内容をいつまでもブラッシュアップして、プレゼンの練習を繰り返ししてたんだと思います。

その結果があの素敵な講義だということをどれだけの人が分かっているでしょうか。
あがり症だからこそ、臆病だからこそ、すばらしいプレゼンができるということを、彼は自分の後輩たちに見せてくれたのです。

たぶん、あの場で、そこまで分かった人間は、そうはいないと思います。
彼の講義を聴いて彼に憧れ、キジマダイスケになりたいという人間がいたとすると、その時点でひとつの勘違いをしています。

多くの人は、彼になろうとするのではなく、彼と同じようにして自分をブラッシュアップしていけば良いんだと思います。面の皮が厚く、薄っぺらな人間は論外として、本質を見ず、表面だけみてマネしているようでは、しっぽもつかめません。

必要なのは、今いる弱い自分から逃げないということ、自分で自分をたきつけて燃料を供給しつづけることです。そのためには、他人に良いように利用されず、自分の価値を突きつけて利用させてやるくらいの気持ちも必要だと思います。

そういったことをできる人が、キジマダイスケのような人間になれるのだと思います。彼はコザカイ組の1期生として、うちの研究室にその道筋を示してくれたのです。
だからこそ、いまだに後輩のために最も古いブラザーとして指導し続けてくれるのでしょう。
いまのゼミ生には、その覚悟があるんでしょうか。

こういった思いがあるから、ワシはうちの研究室にどんな人材を望むかと聞かれたときに、こう言ってきたのです。

「そんなこと決まっている。いろいろ来て欲しいタイプはいるけど、まず第1にキジマダイスケのように捻れて鬱屈したやつが欲しい。」